原文:Yahoo! Sports
伝説的な人格がその並外れた身長をも超えたと言われる Wilt Chamberlain はかつて、ボクシングのレジェンドである Sonny Liston に対し、重量級王者として引き継ぐべきだと警鐘を鳴らしたことがある。彼はまた、2万人の女性と寝たことを自慢したこともあり、控えめな性格が彼の特長であるわけでは決してない。
Chamberlainは、試合での勝利も含めて、どんなことでも大げさにやるのが好きだった。1971-72年シーズンにロサンゼルス・レイカーズの先発センターだった彼は、現在のマイアミ・ヒートが挑戦している、NBAレコードの33連勝を達成する。
ヒート対オーランドの試合を観戦する予定のChamberlainは、26連勝中のヒートがレイカーズの歴史的記録に名乗りを上げてことについて、何を思うだろうか。
1971-72年シーズンのロサンゼルス・レイカーズで先発フォワードを務め、Chamberlainとチームメイトだった Jim McMillian は、「彼は気にしているよ」と語る。「ヒートは勝利にふさわしいチームではないと言うかもしれないね。まるで、今のNBAは内容がとても薄く、マイアミは自分たちほどよいチームでもないし、もし試合をしたら圧勝するかのような口調でね。」
「Wiltは、自分を守れる人間がいないことを知っていたから、マイアミと対戦したがるだろうね。」
ヒート球団社長の Pat Riley は、連勝記録を打ち立てたときのレイカーズの一員だ。Chamberlainがマイアミに連勝記録を破ってほしくないと思う一方で、McMillianも、当時のレイカーズでプレイした殿堂入りの Jerry West も、連勝記録が破られても驚かないという。
「もし君が私に“気にするか?”と問うなら、それは間違いなくありえないことだ。」と、Westは最近の電話取材で答えた。「それはNBAにとってよいことだよ。私は、友人である Pat Riley のために喜んでいる。もしヒートが連勝記録を破ったら、それはそれは、すばらしい出来事だ。まったく問題ないね。」
McMillianはこう語る。「もし破られなかったら、近年の選手で今の記録に近づけるチームは存在しないのではないだろうか。近年の選手は、私たちがプレイしたときほど、試合に集中していない。彼らは巨額なお金とともに悪評も得ている。」
ヒートは勝つごとに、より大きな注目とプレッシャーを集めている。McMillianによれば、当時チャンピオンチームであったミルウォーキー・バックスが前年に記録した18連勝へと、レイカーズが近づいたとたん、マスコミの注目は大きくなり、出待ちの群衆も増していったという。当時のレイカーズは、1971年12月9日に行われたゴールデンステート・ウォリアーズとのアウェイ試合を124-111で勝利し、19連勝を果たすと同時に、それまでの連勝記録を破った。
「あの夜、だれと対戦したのか覚えてない。」と、McMillianは振り返る。「連勝をただ楽しんでいただけだよ。いくつかの試合は記憶がぼんやりとしているんだ。」
当時のレイカーズでガードだった Jim Cleamons は、「その後の試合はそれぞれが、ひとつの勝利に過ぎなかったよ。」と語る。
1972年1月7日に行われたアトランタ・ホークスとのアウェイ試合を134-90で勝利したレイカーズは、連勝記録を33に伸ばす。Kareem Abdul-Jabbar と Oscar Robertson を擁するバックスとの次の試合で、その連勝記録が終わることになる。バックスが120-104で勝利し、Abdul-Jabbarは39得点を叩き出した。
レイカーズの連勝記録は、1971年10月5日から1972年1月7日までのこと。そのうち一桁得点差だったのは10試合しかない。
「ロッカールームに戻ると、全員が親友を亡くしたかのような気分に陥ったよ。」と、Westは当時を語る。
シーズン中にほとんどプレイしなかったCleamonsはこう語る。「あれはまるで、ガソリンの給油機を担いで地獄を通り抜けるようなものだったよ。バックスは確実に使命へ向けて活気に満ちていた。彼らは、私たちが何かを盗んだかのように、滅多打ちにしたんだ。私もプレイしたような感覚だったよ。」
McMillianは、レイカーズの連勝がシーズン序盤の1月に終わり、よかったと信じている。また、シーズン終盤の連勝はチャンピオンチームのヒートにとって負担になると考えている。
「私たちは、感情的に、精神的に、肉体的にリセットするチャンスがあった。」と、McMillianは語る。「私たちは言ったんだ。“よし、すばらしい連勝だった。優勝に向かって準備しよう。”ってね。ヒートは連勝記録を破ろうと、負けられないと、自分たちを追い込んでいる。次の目標であるプレイオフがすぐそこに迫っているのだから、彼らはリセットするチャンスを失ってしまう。」
マイアミの連勝はすでにレイカーズのそれよりも印象的だと思う人もいるだろう。1971-72年シーズンのNBAには、17のチームしかなかった。ライバルであるAmerican Basketball Association (ABA)には11のチームがあり、 Julius Erving や Rick Barry、Artis Gilmore、Dan Issel といったトップ選手が在籍していた。
「私は他人の意見を否定するつもりはない。その意見にも妥当性があるだろう。しかし、目の前にある試合に挑むことしかできないんだよ。」と、Cleamonsは語る。
Westは一方で、現在の30チームには弱小なところもあると考えている。マイアミはレベルの低い東地区に属している。そして各チームは、当時のレイカーズとは違って、定期便の飛行機に乗る必要もない。
「チームの拡張は選手の質を薄めてしまった。」と、Westは語る。「選手の質を高めることにもつながっていない。だから今では、優秀な選手たちをひとつのチームに集めるのは難しい。」
33連勝が終わってしばらくすると、当時レイカーズのオーナーだったJack Kent Cookeが、ちょっとしたギフトでチームを称えた。McMillianによると、当時レイカーズのGMだった Fred Schaus が、選手たちのために用意したペンセットとともにロッカールームに入ってきたという。ペンセットにはそれぞれ、連勝記録を記念する文言が刻まれていた。Schausが去るとすぐに、Chamberlainはチームメートのロッカーからペンセットを手にとり、それらを並べた。
「どれだけの人たちがこうしたペンセットをプレゼントされ、机の上に置いてきたか、知ってるだろ。」と、McMillianは語る。「Wiltはとても怒っていたよ。集めたペンセットを投げ捨てたんだ。彼は“こんなペンセットで何をすればいいんだよ”と思っているようだった。」
しかし、1971-72年シーズンのレイカーズは後に、記録達成の40周年を記念したリングを贈呈されている。ヒートが当時のレイカーズに近づいたからこそ、そのギフトは、あるべきときに届けられたのかもしれない。
「今、リングをもらえてよかったよ。」と、McMillianは語った。
伝説的な人格がその並外れた身長をも超えたと言われる Wilt Chamberlain はかつて、ボクシングのレジェンドである Sonny Liston に対し、重量級王者として引き継ぐべきだと警鐘を鳴らしたことがある。彼はまた、2万人の女性と寝たことを自慢したこともあり、控えめな性格が彼の特長であるわけでは決してない。
Chamberlainは、試合での勝利も含めて、どんなことでも大げさにやるのが好きだった。1971-72年シーズンにロサンゼルス・レイカーズの先発センターだった彼は、現在のマイアミ・ヒートが挑戦している、NBAレコードの33連勝を達成する。
ヒート対オーランドの試合を観戦する予定のChamberlainは、26連勝中のヒートがレイカーズの歴史的記録に名乗りを上げてことについて、何を思うだろうか。
1971-72年シーズンのロサンゼルス・レイカーズで先発フォワードを務め、Chamberlainとチームメイトだった Jim McMillian は、「彼は気にしているよ」と語る。「ヒートは勝利にふさわしいチームではないと言うかもしれないね。まるで、今のNBAは内容がとても薄く、マイアミは自分たちほどよいチームでもないし、もし試合をしたら圧勝するかのような口調でね。」
「Wiltは、自分を守れる人間がいないことを知っていたから、マイアミと対戦したがるだろうね。」
ヒート球団社長の Pat Riley は、連勝記録を打ち立てたときのレイカーズの一員だ。Chamberlainがマイアミに連勝記録を破ってほしくないと思う一方で、McMillianも、当時のレイカーズでプレイした殿堂入りの Jerry West も、連勝記録が破られても驚かないという。
「もし君が私に“気にするか?”と問うなら、それは間違いなくありえないことだ。」と、Westは最近の電話取材で答えた。「それはNBAにとってよいことだよ。私は、友人である Pat Riley のために喜んでいる。もしヒートが連勝記録を破ったら、それはそれは、すばらしい出来事だ。まったく問題ないね。」
McMillianはこう語る。「もし破られなかったら、近年の選手で今の記録に近づけるチームは存在しないのではないだろうか。近年の選手は、私たちがプレイしたときほど、試合に集中していない。彼らは巨額なお金とともに悪評も得ている。」
ヒートは勝つごとに、より大きな注目とプレッシャーを集めている。McMillianによれば、当時チャンピオンチームであったミルウォーキー・バックスが前年に記録した18連勝へと、レイカーズが近づいたとたん、マスコミの注目は大きくなり、出待ちの群衆も増していったという。当時のレイカーズは、1971年12月9日に行われたゴールデンステート・ウォリアーズとのアウェイ試合を124-111で勝利し、19連勝を果たすと同時に、それまでの連勝記録を破った。
「あの夜、だれと対戦したのか覚えてない。」と、McMillianは振り返る。「連勝をただ楽しんでいただけだよ。いくつかの試合は記憶がぼんやりとしているんだ。」
当時のレイカーズでガードだった Jim Cleamons は、「その後の試合はそれぞれが、ひとつの勝利に過ぎなかったよ。」と語る。
1972年1月7日に行われたアトランタ・ホークスとのアウェイ試合を134-90で勝利したレイカーズは、連勝記録を33に伸ばす。Kareem Abdul-Jabbar と Oscar Robertson を擁するバックスとの次の試合で、その連勝記録が終わることになる。バックスが120-104で勝利し、Abdul-Jabbarは39得点を叩き出した。
レイカーズの連勝記録は、1971年10月5日から1972年1月7日までのこと。そのうち一桁得点差だったのは10試合しかない。
「ロッカールームに戻ると、全員が親友を亡くしたかのような気分に陥ったよ。」と、Westは当時を語る。
シーズン中にほとんどプレイしなかったCleamonsはこう語る。「あれはまるで、ガソリンの給油機を担いで地獄を通り抜けるようなものだったよ。バックスは確実に使命へ向けて活気に満ちていた。彼らは、私たちが何かを盗んだかのように、滅多打ちにしたんだ。私もプレイしたような感覚だったよ。」
McMillianは、レイカーズの連勝がシーズン序盤の1月に終わり、よかったと信じている。また、シーズン終盤の連勝はチャンピオンチームのヒートにとって負担になると考えている。
「私たちは、感情的に、精神的に、肉体的にリセットするチャンスがあった。」と、McMillianは語る。「私たちは言ったんだ。“よし、すばらしい連勝だった。優勝に向かって準備しよう。”ってね。ヒートは連勝記録を破ろうと、負けられないと、自分たちを追い込んでいる。次の目標であるプレイオフがすぐそこに迫っているのだから、彼らはリセットするチャンスを失ってしまう。」
マイアミの連勝はすでにレイカーズのそれよりも印象的だと思う人もいるだろう。1971-72年シーズンのNBAには、17のチームしかなかった。ライバルであるAmerican Basketball Association (ABA)には11のチームがあり、 Julius Erving や Rick Barry、Artis Gilmore、Dan Issel といったトップ選手が在籍していた。
「私は他人の意見を否定するつもりはない。その意見にも妥当性があるだろう。しかし、目の前にある試合に挑むことしかできないんだよ。」と、Cleamonsは語る。
Westは一方で、現在の30チームには弱小なところもあると考えている。マイアミはレベルの低い東地区に属している。そして各チームは、当時のレイカーズとは違って、定期便の飛行機に乗る必要もない。
「チームの拡張は選手の質を薄めてしまった。」と、Westは語る。「選手の質を高めることにもつながっていない。だから今では、優秀な選手たちをひとつのチームに集めるのは難しい。」
33連勝が終わってしばらくすると、当時レイカーズのオーナーだったJack Kent Cookeが、ちょっとしたギフトでチームを称えた。McMillianによると、当時レイカーズのGMだった Fred Schaus が、選手たちのために用意したペンセットとともにロッカールームに入ってきたという。ペンセットにはそれぞれ、連勝記録を記念する文言が刻まれていた。Schausが去るとすぐに、Chamberlainはチームメートのロッカーからペンセットを手にとり、それらを並べた。
「どれだけの人たちがこうしたペンセットをプレゼントされ、机の上に置いてきたか、知ってるだろ。」と、McMillianは語る。「Wiltはとても怒っていたよ。集めたペンセットを投げ捨てたんだ。彼は“こんなペンセットで何をすればいいんだよ”と思っているようだった。」
しかし、1971-72年シーズンのレイカーズは後に、記録達成の40周年を記念したリングを贈呈されている。ヒートが当時のレイカーズに近づいたからこそ、そのギフトは、あるべきときに届けられたのかもしれない。
「今、リングをもらえてよかったよ。」と、McMillianは語った。
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